英雄の決断~十字架の他何も知るまい~

 昨日の午前中は雪が激しく降り、交通機関にも多くの乱れが生じていました。そんな中、私は立川聖パトリック教会を訪れました。立川──正確には西国立駅周辺は、都内でも比較的降雪量の多い地域でした。自ら雪の中に突っ込んでいくような行程ではありましたが、その分、美しい雪景色を目にすることができました。教会の庭では、子どもたちがかわいらしい雪だるまを作ったようで、それを見た私は思わず笑顔になりました。現在この教会は、大畑喜道主教を管理牧師とし、宮崎光司祭が副牧師として勤務しておられます。ただし、実際の教会運営の大半は宮崎司祭が担っておられるため、「副牧師」という肩書きは、ある意味で形式的なものかもしれません。宮崎司祭は数年前まで立教大学のチャプレンを務められ、諸聖徒礼拝堂のディーンでもあられました。私自身、彼の親しみやすい人柄と、熱のこもった芸術家・学者としての精神に強く惹かれていますが、立教チャペルのアコライトとしては大先輩でもあり、深い尊敬の念を抱いています。あれほどハイ・チャーチな礼拝堂において、学生時代を祭壇奉仕とオルガン奏楽に捧げてこられた方ですから、典礼と音楽に関して深い見識をお持ちであるのは言うまでもございません。ちょうど今週木曜日には、他のOBの方々も交えた飲み会が予定されており、今から楽しみにしています。

 この日は堅信受領者総会があり、早めに帰らなければならなかったため、立川駅でお寿司をいただいた後、三鷹福音教会へと向かいました。毎週日曜日の16時30分から、北米聖公会のミサがここで捧げられています。改革派の集会ではないにもかかわらず礼拝堂を貸し、しかも信徒の一部が聖餐にも与っているという状況は、実に素晴らしいものだと思います。三鷹福音教会の皆さまの懐の深さには、いつも頭が下がる思いです。この北米聖公会の共同体は、ケヴィン・シーバー師父と、ベレク・スミス師父という二人の司祭によって支えられています。シーバー師父は、10年以上にわたり聖路加国際病院のチャプレンを務めてこられました。伝統的な典礼と神学に精通しているだけでなく、あらゆる立場の人々への牧会と宣教を大切にされている点が、彼の大きな強みだと感じます。そのシーバー師父が、イデオロギー的な理由によってNSKKから事実上排除される形となったことは、私にとって大きな損失に思えます。そこに、元・立教新座チャプレンであるベレク師父が今年度から加わり、二人の司祭の働きによって、この共同体は以前にも増して力強くなったように感じられます。聞くところによると、北米聖公会から近々、もう一人の司祭が大阪へ宣教の下見に訪れる予定だそうです。現在、東京・三鷹にしか存在しない北米聖公会の共同体が、関西にも設立される見通しがあるとのことでした。さらに、米国コロラド州出身の神学生が、この夏、教会実習のために三鷹を訪れるという知らせもあります。近年では"Global Anglicans"とも名乗るようになったGAFCONは、確実に勢いを増し、まさにグローバルな宣教へと踏み出しています。私はあくまでアングリカン・コミュニオンに属していますが、彼らが今、最も活力を持っている存在であることは誰も否定できません。主の聖霊が教会をどのように導かれるのか、温かなまなざしで見守りたいと思います。

 この主日は、大斎節の始まりまで残り10日という節目の日でもありました。シーバー師父の説教も、そのことを意識した内容でした。テーマは「キリストの十字架」。しかし、十字架を信仰のシンボルとするキリスト教は、外から見れば少々奇妙に映るかもしれません。十字架とは、本来、処刑道具にすぎないものです。それもローマ帝国においては、最も苦痛を伴う処刑方法の一つであり、容易には死なせない残酷な手段でした。刑場に至るまで、十字架を背負わされ、何度も鞭で打たれます。その鞭には刃物が付いており、打つたびに肉が裂けるという、想像するだけでも恐ろしいものだったと言われています。では、なぜそのような処刑具が、信仰者の旗印となったのでしょうか。それは、キリストが十字架にかかった出来事こそが、罪に対する勝利であると、キリスト者が信じたからです。聖パウロは書簡の中で、「キリストの十字架のほか、何も知るまいと決意した」と語っています。しかし彼は、かつてキリスト者を迫害していた人物でもありました。それは、彼が人を傷つけることを好んでいたからではありません。彼にとって、イエスをメシアと信じる人々を止めることこそが、正しく、善であると心から信じられていたのです。イエスはローマ帝国の圧政の犠牲者にすぎず、決してメシアではない──そう理解されるべきだと考えていました。しかし、パウロは旅の途中で復活のイエスと出会います。この出来事は、律法のエリートとしての彼の聖書解釈に、決定的なパラダイムシフトをもたらしました。イエスは確かに十字架の上で死に、そして本当に復活した。その事実を信じるほかなくなったのです。イエスの死は、哀れな敗北者の最期ではありませんでした。十字架上で無力に苦しむことを通して、イエスは古い悪魔の力と格闘し、「成し遂げられた」という言葉とともに、ついに勝利を収めたのです。だからこそ、十字架は勝利の象徴となり、キリスト者の誇りとなりました。

 少し話が逸れるかもしれませんが、私自身、幼少期にヒーローものに熱中していた時期があります。中でも仮面ライダーシリーズは大好きで、今でもファンです。大人になってから見返すと、子どもの頃とは違った感動を覚えることも少なくありません。多くの仮面ライダーは、「人々を守るために」ライダーとなり、悪の力に立ち向かいます。特に心を打たれたのは、2010年に放送された『仮面ライダーW』でした。物語の終盤、変身者の一人であるフィリップは、あと一度変身すれば消滅してしまう状態に追い込まれます。それでも、姉を救うため、相棒とともに再びWへと変身し、戦いに身を投じます。戦いの後、彼の肉体は実際に消滅してしまいましたが、使命を果たせたことに、彼は満足していたのではないかと思います。これはまさに、「愛する人のために命を捨てる」という勇気ある決断であり、この選択こそが、作品全体を貫くハードボイルドの核心なのでしょう。イエス・キリストは、戦わず、抵抗しないという点で仮面ライダーとは異なりますが、その受難もまた、人類を深く愛するがゆえになされた神のご決断でした。神に等しい存在でありながら、最後まで低くなられ、十字架の苦しみを引き受けたイエスこそが、私たちを守るために悪の力と戦い、ついに勝利したのです。ここに、十字架が誇りであり、「それ以外に何も知らない」とパウロが語った背景があります。

 一方で、受難に至るまで、何度も悩まれたイエスの姿も描かれています。ゲッセマネにおいて、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈ったとき、死への恐怖と深い悲しみが彼の心を覆っていたことでしょう。「死ぬばかりに悲しい」と弟子たちに語ったイエスの言葉からは、自らが死なずとも人類が救われる道はないのか、という切実な願いが感じられます。しかし最終的にイエスは、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈り、父なる神の御心に従い、十字架の道を選ばれました。流されるままに行動するのではなく、自ら決断する──それは『仮面ライダーW』において「ハードボイルドの流儀」と呼ばれる姿勢でしたが、イエスもまた、ある意味でそのような人物であったのかもしれません。そして何より、私にとってイエス・キリストとは、「世界のヒーロー」なのだと思います。幼少期に憧れたヒーローたちは、残念ながら実在しません。どれほど願っても、私は仮面ライダーに変身することはできません。しかし、イエス・キリストというヒーローは、確かに2000年前に存在し、今も父の御国で生き、世を統べ治めておられます。さて、大斎節まで残り10日を切りました。イエスという名のヒーローへの尊敬を胸に、私自身の十字架を背負って生きるとはどういうことなのかを、改めて見つめ直す大斎節にしたいと思います。

希望の光

 本日2月1日、香蘭女学校に隣接する三光教会にて、ミサに与りました。ちょうど2月の第1日曜日であったため、司式は香蘭女学校チャプレンのシュタール司祭でした。シュタール司祭は、中学・高校時代の恩師であるだけでなく、名親としても私を支えてくださった方です。東京を離れる日が近づいている今、そのことを正式にお伝えし、これまで温かく見守ってくださったことへの感謝を直接お伝えすることができました。香蘭では入学試験が行われていた関係で、あまりゆっくりお話しできなかったことが心残りではありますが、それでもこの機会を与えられたことは大きな恵みでした。立教学院立教女学院、そして香蘭女学校という、東京にある三つの聖公会関係学校が深い結びつきを持っていることは、あらためて語るまでもないでしょう。中でも、立教と香蘭の間には、どこか不思議な縁があるように感じられます。シュタール司祭が立教池袋から異動される以前に、中高の二人の校長先生が香蘭へと移られているのです。実際、2016年まで立教で校長を務められた鈴木宏先生は、その後香蘭女学校の校長に就任されました。また、アコライト・ギルドを卒業した先輩お二人が、現在香蘭で教職員として働いておられます。特に甲斐先生は香蘭のアコライトを指導しておられ、練習もかなり厳しく行っていると伺いました。このように、立教イズムが聖公会の交わりの中で受け継がれ、広がっていくことは、まさに神様の恵みであると感じずにはいられません。

 さて、翌2月2日は「主の奉献の日」です。神の御子キリストが、他のイスラエルの子どもたちと同じように、神殿で奉献という通過儀礼を受けられたことには、受肉の神秘を見出さずにはいられません。日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、この日はCandle Mass(聖燭祭)として知られています。また、夕の礼拝で唱えられる「シメオンの賛歌」とも非常に深い結びつきを持つ祝日です。シメオンは、聖霊の導きによって神殿において幼子イエスを見出し、その腕に抱いて神を賛美しました。「メシアを見るまでは死なない」と約束されていた老人は、この甘美な喜びとともに、安らかに世を去ることができたのです。シメオンの賛歌において、私が特に重要だと考えるのは「異邦人の光」という表現です。主の奉献の祝日は、教会暦において顕現節(Epiphany tide)の中に位置づけられています。顕現節は、1月6日の異邦の賢者への顕現を起点として、およそ1~2か月にわたって続く期間です。そのため、主の奉献もまた、イエス・キリストが世界全体の救い主であることを象徴する出来事として理解することができるでしょう。この日、世界中の教会では、多くの蝋燭とともに主を賛美します。それは、蝋燭の光が「万民を照らす」キリストの光を象徴しているからです。人類学的に見ても、光と闇の二項対立は、ほぼすべての宗教において重要な要素を成しています。ゾロアスター教は紀元前から存在する宗教ですが、拝火の文化でよく知られています。善と悪の二項対立、そして最終的に善の神が勝利するという思想を背景として、火は善なる光の象徴とされてきました。キリスト教においても同様に、祭壇の蝋燭はキリストの命そのものを象徴しています。

 では、キリスト教における「光」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。非常に漠然とした問いではありますが、聖ヨハネは「光は闇の中で輝いている」と記しています。この言葉を手がかりに、少し考えてみたいと思います。一般に、太陽はオレンジ色の炎に包まれた球体であると考えられています。しかし、晴れた日に、そのオレンジ色の球体が空に浮かんでいるのを実際に見たことがあるでしょうか。おそらくないはずです。自らの光によって空全体が明るくなるとき、光源そのものの姿はかえって見えなくなります。一方、冬の夜空に輝くおおいぬ座の一等星シリウスは、太陽と同じ恒星でありながら、ガスの少ない空間では非常によく目立ちます。それは、暗闇の中では光が際立つからです。また、日本語には「昼行燈」という言葉があります。役に立たない人や物を揶揄する表現ですが、明るい昼間には、行燈はあってもなくても変わらない存在です。しかし夜になると、人々の手元を照らす大切な役割を果たしました。このように、光とは、暗闇の中においてこそ、その本質を発揮するものなのです。「言のうちの光」は、まさにそのように闇の中で輝いていました。そして闇は、その光に打ち勝つことができませんでした。神の言は、私たちが途方に暮れ、絶望しているときにこそ、美しい輝きを放ち、心の支えとなります。しかし同時に、太陽のように、私たちが意識しないうちにも世界を照らし続ける働きが、神の御子によってなされていることを忘れてはなりません。心が明るく、満たされているとき、私たちは主の御業に対して少し鈍感になってしまうことがあります。本来それもまた、主の光による賜物であるにもかかわらずです。それでも御子は、私たちが気づくのを待つかのように、変わらず世界を照らし続けてくださいます。そこには、「気づくのを待つ」という、神の愛のカタチがあるのです。これらすべてが、シメオンの歌う「万民に及ぶ光」なのだと思います。

 最後に、主の奉献の礼拝で用いられる蝋燭そのものに、改めて目を向けたいと思います。近年ではオイルキャンドルも普及しつつありますが、伝統的な蝋燭は、周囲を照らすために、自らをひたすらすり減らしていきます。やがて蝋燭は蟻一匹ほどの小ささになり、もはや役目を果たすことができなくなってしまいます。暗闇の中の光であるイエスご自身は、「仕えられるためではなく、仕えるために来た」と語られました。その献身的な姿勢は、あの過越しの晩において極みに達します。師と仰がれる立場にある方が、弟子たちの足を洗うという行為は、己の身を犠牲にして人々を救うという使命を、はっきりと示すものでした。主イエスは、私たちにもまた、蝋燭のようになることを望んでおられるのだと思います。自らをすり減らすかのように人々に仕えることで、教会に、そして全世界に希望の光を灯していくこと──それこそが、キリスト者に託された責任なのでしょう。本日行われた入学試験では、シュタール司祭もチャプレンとして忙しく働かれたと伺いました。多くを語り合うことはできませんでしたが、新たに香蘭の門をくぐる生徒たちが、やがて希望の蝋燭となり、世界を照らしてくれることを心から祈りたいと思います。

蒔かれた種

 一昨日のことになりますが、この日の早朝聖餐式をもって、私はアコライト・ギルドを事実上引退いたしました。私は2025年3月31日までは学生ですので、それまでアクティブに礼拝奉仕を行うこと自体は、規則上まったく問題はありません。実際、歴代の先輩方を見ても、卒業まで奉仕を続けられた方のほうが多かったように思います。それでも私は、あえて早い時期に一線を退き、後輩たちにより多くの礼拝奉仕の機会を残したいと考え、この決断をいたしました。私が抜けることで立教アコライト全体の平均年齢はぐっと下がり、礼拝においてまだ多くの役職を経験していないメンバーが大多数となります。そのことを前向きに捉えたかったのです。また、来月以降は移住に向けた準備にも本格的に取り組まなければなりません。とはいえ、すべてが終わるわけではありません。3月第4日曜日のミサが、私の卒業奉仕となっています。聖歌隊オルガニストの仲間も多く参加する予定ですので、最後に皆で共に礼拝奉仕ができる喜びを、心から味わえたらと思っています。何より、別れを惜しむ時間はあまり持たない方がよいのでしょう……。できれば笑顔で送り出してもらいたいものです。

 この日は朝のロウ・マスでしたので、礼拝自体は淡々と終わりました。正直なところ、「これで自分は一線を退くのだ」という実感は、まだ十分には湧いていません。しかし、この日に読まれた福音書──「種を蒔く人の喩え」──について、私は深く観想することになりました。私は幼稚園の頃からキリスト教教育を受けてきました。主の祈りを唱え、クリスマス・キャロルを歌うことは、日常の一部でした。幼いながらも、教会に響くパイプオルガンの壮麗な音色が大好きだったことを、今でもよく覚えています。とはいえ、当時の私に「神様を信じる」という明確な自覚があったわけではありません。落ち着きがなく、喧嘩ばかりしていた子どもだったと思います。それでも、キリスト教に関わるものには、どこか尊いものがあると感じていました。私の人生の一つの転機は、校庭でいつも野球をして遊んでいた友人に、大礼拝プロセッションチーム──いわゆるアコライトのようなもの──に誘われたことでした。突然、「これからあまり一緒に遊べなくなる」と言われ、理由を聞くと、いつの間にかチャプレン室に連れていかれ、成り行きで私も参加することになりました。子どもながら、朝早くから練習に励み、放課後にはベストリーでクロスやトーチを磨き、美しい礼拝を形づくっていくことに深い喜びを覚えました。中学校に進学してからも祭壇奉仕を続け、やがて聖歌隊に加わり、音楽の面でも礼拝に関わるようになりました。結局のところ、私は高校を卒業するまで洗礼を受けませんでした。しかし、3歳から18歳までの長い年月にわたって、イエス様が私の魂に蒔いてくださったみ言葉の種子は、確かに育ち続けていたのだと、今では確信しています。そして大学生になってから、その種はついに、聖母マリアの御心のように美しい花を咲かせたのでしょう。こうして教会に深く関わるようになったのは、立教学院キリスト教教育があってこそです。この日の朝は、私の霊的成長を導いてくださった主の恵みを、静かに観想するひとときとなりました。

 私が自覚的な信仰に目覚めたきっかけとなった、とても大切にしている聖書の1節があります。 この言葉は、弟子たちに向けた教えであると同時に、イエスご自身がこれからなさろうとしていることを示唆するものでもあります。

友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。(15:13)

実のところ、高校時代の私は、決して模範的な人間ではありませんでした。特に新型コロナウイルスの流行によって部活動が思うようにできなくなってからは心が荒れ、多くの人を傷つけてしまった過去があります。当時の私は、「人は独りで完璧に生き抜ける強さを持たなければならない」と考えていました。自分の強さを信じ、それを証明するかのように、荒れた振る舞いをしていたのだと思います。そんな生き方から少しずつ距離を置こうとしていた時に、このみ言葉と出会ったことが、決定的な転機となりました。イエスが人類のために命を捨てた──それは、私自身のためでもあった。その事実に、私は強い衝撃を受けました。このとき、自分の強さに対する信頼は大きく揺らぎました。自分は強く、誰にも頼らず生きているつもりでいたけれど、実は命がけで守ってくれる存在があり、そのおかげで今も生かされているのだ、と気づいたのです。同時に、「誰からも愛されず、独りで頑張ってきた」という自己理解も崩れていきました。たとえ周囲に愛してくれる人がいなかったとしても、イエス様は「命を捨てられるほどに」私を愛してくださっているのだ、と考えるようになりました。洗礼を受け、その後、教役者の方々やチャペル団体、教会の信徒の仲間(先輩方)と交流を深めていく中で、私は本当に多くの愛情を注いでいただきました。自分が気にかけられ、大切にされていると実感する出来事を、数え切れないほど経験しました。そうして受け取った優しさを、今度は私自身が誰かに手渡していきたい──その思いは、私の召命観とも深く結びついています。イエス様から受けた愛、教会の兄弟姉妹から受けた優しさを、私もまた与えられる人間でありたい。大切な人を救うために命を差し出した主イエスの愛を知った今、私自身も「誰かのために」生きたいと思います。そうすることで、かつての私のように心が荒れていた人の傷を癒し、兄弟姉妹として共に歩むことができるのではないでしょうか。その意味で、私もまた「種を蒔く人」でありたいと願っています。

 「種を蒔く」と言えば、私たち大学のアコライト・ギルドもまた、多くの後輩たちの心にみ言葉の種を蒔くことができたのではないかと思います。もちろん、チャプレンとして司牧されている李司祭の素晴らしい宣教の働きがあってこその実りであり、私たち自身の手柄を主張するつもりはありません。それでも、練習で楽しい時間を共に過ごし、時に苦労を分かち合ってきたことには、大きな意味があったと感じています。一時期は枯渇しているとも言われた中学・高校部員も、この数年で倍近くに増え、そのうち半数以上が聖餐式のサーバーを任されるまでになりました。中学1年生の頃から努力を重ねてきた部員の中には、すでにヴァージャーを経験し、香炉奉仕の動きも完璧に身につけている者もいます。彼らは単にアコライトとしての動きを覚えているだけではありません。所作や祭具の意味を理解したうえで、礼拝全体の中で自分が何をしているのかを考え、動ける段階に達しています。楽しみながら、時に真剣に学びを重ねてきた彼らは、大学生になった暁には、チャペルを積極的にリードできる存在へと成長していくことでしょう。洗礼を受ける人も、きっとこれからさらに増えていくはずです。

 引退、そして卒業、さらに遠方への移住──そこに寂しさがまったくないと言えば、嘘になります。それでも、自分がいなくなった後のチャペルやアコライトの未来に、希望を失ってはいません。そしてどこへ行っても、神様に愛され、隣人に愛されているという事実を忘れてはならないのだと思います。これまで私が受けてきた愛と優しさを、今度は私自身が多くの人に与え、世界を少しでも愛で満たしていくことができたなら、それこそが、「憎しみのあるところに愛を」という祈りの実践なのではないでしょうか。

網を捨てて、また歩く

 さて、本日から、関東圏でこれまでお世話になってきた教会を巡ることにしました。4月から生活の拠点を関西へ移す予定で、会社は大阪、教会は日本聖公会神戸教区の大聖堂・聖ミカエル教会に通うことを考えています。先週、学院のお仕事で東京に来られていた八代智主教さまとご一緒にお食事をする機会があり、その折に、改めて神戸教区からの温かいラブコールをいただきました。会社の事情もあり、移住してしばらくは中間地点となる塚口〜西宮エリアに住みたいと考えています。そして本日は、日本聖公会横浜教区の山手クライスト・チャーチで主日ミサに与りました。山手の教会とのお付き合いは、今から2〜3年ほど前にさかのぼります。当時、親しくしていた留学生の友人から、そこで行われている歌による夕の礼拝を紹介され、一緒に訪れたのが始まりでした。夕の礼拝や主日ミサの後には、必ずワインやコーヒーが振る舞われ、そうした交わりの中で、多くの信徒の方々と親しくさせていただきました。ここ10年ほど牧師を務めてこられたアンドリュー・デンジャーフィールド師父も、非常に温かく包容力のある方で、私の信仰上の悩みに耳を傾け、折に触れて助言をくださったことを、心から感謝しています。師父は英国の聖ステファノ神学院を卒業された、アングロ・カトリックのエリート司祭でもあります。1月25日は、そんなアンドリュー師父が横浜で最後の礼拝を捧げられる日でもありました。来月からは香港で宣教に励まれるとのことです。これからの働きの上に、聖霊の豊かな導きがありますようにと祈っています。

 奇遇なことに、私もアンドリュー師父も、この2026年から新天地での歩みを始めます。つまり、これから生活が大きく変わるということです。とりわけ師父は、生活する国そのものが変わります。言葉も、食事も、交通事情も違う。新しいものを得る一方で、これまで持っていたものを失うこともあるでしょう。特に人間関係は、すべてをそのまま持ち運ぶことができるものではありません。生涯続く縁もあれば、自然と疎遠になる関係もあります。そうした体験を、はるかに大きなスケールで生きた人物がいます。聖ペテロです。ペテロはガリラヤ湖で漁をしていたとき、突然イエスから「私に従いなさい」と声をかけられました。面識もなく、自分の何が評価されたのかも分からないままに従えと言われるのは、ある意味で恐ろしいことだったでしょう。私は、彼が漁の網を捨てて従ったという行為に注目しています。イエスに出会うまで、ペテロは名もなき漁師として生計を立て、家庭を持ち、ごく普通の生活を送っていたはずです。網を捨てるということは、そうした背景すべてを手放す決断を意味していたのではないでしょうか。そこには並々ならぬ勇気と判断力が表れています。多くの人々が、見た目は普通の人間と変わらないイエスを、神の子・救い主として信じることができなかった時代に、ペテロは早くからその本質に気づいたのでした。とはいえ、彼の歩みは決して一直線ではありません。弟子たちやイエスから離反することもあり、ローマでの宣教の中でも、自身の弱さを露わにします。網を捨てたとき、まさか自分がローマで逆さ十字にかけられる最期を迎えるとは、思いもよらなかったでしょう。私たちもまた、新天地に向かうとき、ペテロのように不安と驚きの連続を経験します。そしてそこへ至るためには、過去を清算する作業が必要になります。場所が変わるとき、人の内面もまた変わることが求められるのです。イエスに従うこと、イエスと共に生きることは、生半可な覚悟でできることではありません。これまで築いてきたものを手放し、新しく生まれ変わる体験が伴います。それは、洗礼というサクラメントにもはっきりと表れています。

 本日の説教でも触れられていましたが、今日は聖パウロ回心日でもありました。パウロもまた、人生が根底から変わる体験をした人物です。イエスに出会う以前、彼は「ユダヤ人よりもユダヤ人らしい」律法に忠実な人物で、ナザレのイエスを神の子と信じる人々を迫害していました。それは残酷さからではなく、これこそがイスラエルのためだと信じていたからです。律法に忠実なエリートであった彼にとって、律法そのものが既得権益でした。神の超自然的な光に照らされることで、パウロはその地位や名声を手放し、使徒としての全く新しい人生を歩み始めます。聖書には多く語られていませんが、この回心は、彼にとって恐れを伴う出来事でもあったはずです。拒絶されるのではないか、今度は自分が石を投げられる側になるのではないか──そうした不安を抱えながらも、彼はただ「呼びかけられた」という一点に支えられて宣教に身を投じました。回心は英語で conversion と言いますが、語源は「向きを変える」ことです。キリスト教において回心とは、地上から天へと意識の方向を転換することだと言えるでしょう。洗礼者ヨハネが、俯いていた人々の頭に水を注ぎ、視線を上へ向けさせたのも、その象徴です。パウロは、地上の事柄ではなく天上の事柄へと目を向け、新しい人へと生まれ変わっていきました。

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。(コロサイ3:1)

 閑話休題。本日は1月最後の日曜日でもあったそうです。あと1週間で1月が終わり、2026年の12分の1が過ぎ去ります。年末に紅白歌合戦を見ながら、「新しい1年が始まるなあ」と思う一方で、「楽しい1年を過ごしたいという贅沢は言わないのでどうか1年後の今日も、心身ともに異常なく、同じようにテレビの前に座れますように」と神に祈る自分がいます。この2026年という旅がどのようなものになるのかは、誰にも分かりません。どんな道を歩んでも、また元いた場所へ帰ってこられたら、それでよいのだと思います。

 クリスチャンにとって、この世での生活は長い旅です。行き先も、目的も、必ずしも明確ではありません。ときに神は、私たちの意思に反した場所へと導かれます。それでも主を信じるならば、思いもよらぬ神秘のうちに導いてくださるはずです。改めてアンドリュー師父のことを思い、そして自分自身の移住の時を思います。新しい旅の始まりにあたり、過去を清算し、フレッシュな気持ちで歩みを進めていきたい。旅の中で、自分の常識が打ち砕かれるとき、そこにこそ神との出会いがあるのではないか──ペテロも、パウロも、そうでした。ノアの方舟がそうであったように、新しい創造の前には、破壊が伴うことがあります。それを受け入れられるかどうかが、問われているのだと思います。怖さは確かにあります。それでも神は、「恐れるな」と語りかけておられます。

うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。(ヨシュア記1:9)

これまでの自分に縛られず、自分を勝手に決めつけず、フレッシュで謙虚な心を忘れずにいたい。主が共におられることを忘れなければ、きっと大丈夫。

 

クリスマス・メッセージ 2025

 今から2000年以前、街の人々が寝静まった静かな夜に、一筋の光がみすぼらしい馬小屋を照らしました。ベツレヘムの田舎町の静かな光景と対照的に、天上では華々しい宴が開かれました。神の御子が地上に降り、世界中に救いがもたらされたのです。

 時と場所を越え、2025年のこの日もまた、夜も更けた頃に歓喜の大合唱が響き渡ります。むしろ、喜びの宴は長い時を経てより規模の大きいものとなっているかもしれません。復活のキリストと共に天にあげられたアダムとイブ、族長たち、王や預言者たちとともに。誰よりも早くイエスを信じ、従った使徒たちともに。すべての聖女や隠者、主教たちとともに。すべての教父、神学者たちとともに。信仰のゆえに苦しんだ殉教者たちともに。飼い葉おけに眠る命のパンを賛美しましょう。天使たちは喇叭と竪琴で歌い踊り、地獄の悪魔たちは激しく地団駄を踏んでいます。主の教会は滅びるどころか世界に広がり、鐘を鳴らして降誕を祝っているのですから。長年の宿敵が、汚らしい場所にか弱い姿で現れたことに大笑いしていたサタンは、今や本当の意味での地獄を味わっています。さあ、地上の教会の私たちも、天の大軍に加わりましょう!

いと高きところには栄光、神に在れ。地には平和、御心に適う人に在れ。

主のご降誕おめでとうございます。

冬至の太陽

 本日22日は、聖トマスを記念するミサをお捧げしました。12月21日が本来の祝日なのですが、現代の教会では主イエスに関する祝日を優先してお祝いすることが慣例となっておりますので、2025年は一日ずれる形になっております。

 聖トマスは、イギリスの教会の伝統では疑いのトマスこと、"Doubting Thomas"と呼ばれることも多いです。イエスはトマスのいない時に家の中に入ってきたので、弟子たちがあとでトマスにそれを報告しても、信じることができなかったためです。彼は、イエスの手と脇腹の傷に触れるまでは信じないと言い張ります。イエスが再びやってきたとき、宣言通りイエスの傷跡に触れるのですが、「見ないで信じる者は幸いである」という言葉はよく知られています。

 この話は、毎年復活節第2主日福音書として朗読されますが、どうしても「見ないで信じることの素晴らしさ」ばかりが強調されることが多くなります。そして、疑い深い人を赦すイエスの慈しみという側面ばかりに注目されます。しかし、私は数年前に教会で聞いた説教の内容が頭から離れません。それは、「イエスの傷跡に触れようとしたトマスこそ強く復活を信じていたのかもしれない」というものです。私には、イエスが自分のいない時に来たことについてトマスが憤慨していたのではないかと思うのです。「なぜ俺のいない時に来たんだ」という思いは、裏返して見れば少なくともイエスが来たことは認めているのだと考えられるでしょう。私も似たような経験をしたことがあるのでトマスの気持ちはわかります。これは私が四谷のホテルで短期のアルバイトをしていたときの経験なのですが、同僚や先輩たちが、有名な女優が来たと騒いでいたのです。私が休憩に入っているときの出来事でしたから、そんな話を聞かされてもあまり面白くない思いをしました。「運が悪かったな」と先輩に言われて余計にムッとしたのはありますが、私は「よく似た一般人と見間違えたのではないですか」と発言してしまいました。トマスの出来事はこれとよく似ているように思えてなりません。彼は復活を強く信じていましたが、イエスに触れることによってその信仰を強めようとしたのだと思います。それはとても実証的な信仰の在り方で、「見ないで信じる」ことが大切である一方で、可視的・質量的なモノから不可視的な事柄へと段階的な意識の移行もまた大切であることを私たちに伝えてくれているのかもしれません。そうすると、おもしろいことに、アクィナスが彼の名前を持っていることは何か神の摂理のようなものを感じさせます。教父時代以降、神学の基盤にはプラトン哲学がありました。アウグスティヌスがさらに発展させ、プラトン的な否定神学こそがキリスト教の伝統となっていたところで、イスラム哲学者たちがアリストテレスの著作をラテン語に訳して西洋に持ち込んだことは、まるで黒船が来たような出来事だったことでしょう。多くの大学や修道院などでアリストテレスをどう扱うかという論争が起きる中、トマス・アクィナスは部分的に形而上学を取り入れました。天上の目に見えないものをひたすらに探し求めるだけではなく、目に見える質量的な事柄に価値を見出し始めます。彼の聖餐論では、パンの実体がキリストの体になるだけでなく、偶有性も変化するとされています。あの食感と味が変わらぬまま、本質が完全にキリストの体になるというのは、信徒が物理的にキリストに触れられることを意味します。トマス・アクィナスの思想は、ボナヴェントゥラのようなプラトン主義に準拠した神学者たちからは批判を浴びます。物質的なものを影として扱わず、むしろ存在を形作るものとして焦点を当てることは、少々人間中心的に見え、本当に神学と言えるのかと疑う気持ちもあったのかもしれません。ですが、アクィナスはドミニコ会修道士として深い信仰を持っていたからこそ、聖体を通して主に触れるという神学に至ったのだろうと思います。

 また、今日の聖餐式冬至のミサであったことにも注目したいと思います。一年間で日の出が遅く、日没が早いので太陽はわずかにしか顔を出さない日です。私が家を出た時刻はもちろん、ミサの準備をしている時間もなかなか空が明るくなりませんでした。祭壇に上がってミサが始まるとき、ようやく太陽が世界を照らし出したように思います。まさに「主イエス・キリストよ、おいでください」と唱えたその瞬間だったようで、私は深く感動しました。クリスマスは12月25日ですがイエス・キリストがその日に生まれたという記録はどこにもありません。キリスト教信仰が発展し始めた頃に、ローマの神々に関する冬至の祭りの日をキリストの降誕を祝う日にカトリック教会が変えたと言われています。私は、この「冬至の日にキリストの降誕が記念されるようになった」ということこそ注目に値すると考えています。冬至の日は、一年で一番長く日の出を待ち望む日なのです。寒さもその年のピークを迎えます。今から2000年以上前、イスラエルの人々は長年の間救い主の誕生を今か今かと待ち望んでいました。アッシリアローマ帝国のような周辺の強国に支配され、抑圧された状態に置かれていました。それだけではありません。神殿の祭司たちはイスラエルナショナリズムを強めたいがために徹底的な律法への順守と神殿への献金を人々にもたらしました。彼らの拠り所であったはずの宗教も抑圧する存在に変わり、頼る場所もなく心は冷えてきっていたと思います。そんな中で、飼い葉桶を照らす幼子の光は行き場のない人々に与えられた慰めの光となったのです。ここに、預言者イザヤの言葉は成就しています。

闇のなかを歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

(イザヤ9:1)

祭司ザカリアは、自身と年老いた妻との子についての神の言葉の成就を知ったとき、救いの時が近いことを悟って主を賛美して歌いました。

神の憐れみ深い御心によって、曙の光が私たちに臨み

暗闇と死の陰にいる人々を照らし、私たちの足を平和の道に導く。(ザカリアの賛歌)

イエス・キリストとは、行き先も見えない不安を恐怖に苛まれたとき、一筋の光のように心を照らし、温めてくれる方なのかもしれません。その意味で、冬至に降誕を祝うことには大きな意味があります。朝早くから待ち望み、ようやく地表を照らす太陽の光。この光の役割は、1年間で最も寒い日に最も大きく感じることができるでしょう。ローマ帝国の圧政に苦しめられていたイスラエルの民と同様に、イエスの弟子たちはあの日家に閉じこもり、恐れと不信仰の只中にいました。「一縷の望みも途絶えた。もう救われることはない。」こんな風に絶望し、心は真冬のように冷え切り、頑なになってしまいました。その時、どこからともなく弟子たちの中にイエスはやってきて、彼らの心を温めました。どことなくシェイクスピアの戯曲『冬物語』のクライマックスを想起させます。自分の妻と子はもう生きていないと絶望し、追放したことを後悔するシチリア王に、ポーライナはこう語りました。

必要なのは、信じる心を呼び覚ますこと。

イエスの慈しみは、トマスが己の信仰を強めることができるならば傷跡に指を入れられることも厭いませんでした。そして弟子たちの心の冬を終わらせたのは、「平和があるように」という何気ない挨拶の言葉でした。イエスがただおられるということ、むしろ、神が私たちと共におられるということ、この事実こそが人類の希望です。寒い冬の最中にイエスの降誕を記念するとき、頑なになった私たちの心も太陽の光に照らされて溶けてゆきます。これが「インマヌエル」ということなのかもしれません。

 

寄り道の極意

 今年度も立教学院諸聖徒礼拝堂において、聖歌隊と共に美しい「9つの聖書日課とキャロルの礼拝」を捧げることができ、大変うれしく思っております。流麗なオルガンの旋律と完璧なまでに調和のとれた合唱が聖堂一杯に響き渡っておりました。また、コープやチュニックを出すことによって荘厳さは昨年よりも増したように思います。

 もう3ヶ月も過ぎましたが、神戸のバジル八代智師父は主教になることについて深い苦悩を抱えておられたそうです。偉大な祖父を思うとプレッシャーを感じ、また八代学院の理事長兼任であるが故の激務に対する不安があったのだと思います。ですが、主教按手式でのお姿を見た私は深い感動でいっぱいでした。あの聖なる使徒継承の場で奉仕できたのは光栄なことでございました。八代師父は、主教職への不安やプレッシャーを感じるたびに聖母マリアへの受胎告知について黙想されていました。聖母は、天使のみ告げを聞いた時に二重の不安に苛まれました。一つは未婚でありながら子を身籠るということ。もう一つは、自分の子が神の御子であり、世界の贖い主であるということです。そもそも婚前交渉がアウトであるという古代イスラエルにおいて、結婚前に既に子を宿していることは石打の刑に値しました。そして、自分のような普通の若者に救い主を産み育てることができるだろかというプレッシャーに押しつぶされそうになりました。しかし、信仰に厚い彼女は「お言葉通りこの身になりますように」という従順さとともに自らの使命に向き合います。八代師父もまた、聖母の謙虚さと勇気に力をもらったのだと思います。

 神が人類を救済するという聖書の一連の物語の中で、一つだけ大きな転換点を挙げるとするならば、それは受胎告知ではないかと思います。ここにはマリアが自らの使命を受け入れるかどうかに全てがかかっていました。ここで、彼女が強い信仰心を見せ、徹底的な神への従順を誓ったことでエヴァが完成しました。パウロはよくキリストを第2のアダムと言っていますが、第2のエヴァ聖母マリアなのです。むしろ、アダムとエヴァはキリストの原型(プロトタイプ)でしかありません。両者にできなかったこと、すなわち神への従順を、キリストと聖母が成し遂げることによって完全体となりました。受胎告知は神と人類の和解への第一歩であり、聖母マリアの行動は閉ざされた天の門を再び開きました。昨日のLessons and Carolsでも歌われました、"Alma redemptoris Mater"という聖母賛歌にはルネサンスの巨匠パレストリーナが複雑な旋律を付けましたが、天の門caeli portaという歌詞の部分で大きな音の跳躍があります。ここの和声がなんとも神秘的ですが、天上での聖母にかかわる事柄を思い起こさせます。受胎告知の物語は、逆説によって成り立っています。マリアが自らを「神の仕え女」と謙遜することで、仕え女(新共同訳でははしため)から神の母に大きく引き上げられます。その生涯の終わりには聖霊の力で昇天し、いまも天の女王として私たちのために神への執り成しをしてくださっています。このような逆説の物語を総括するように、マリアの賛歌は「主はみ腕の力をふるい、思い上がる者を打ち散らし、権力を振るう者をその座から降ろし、身分の低い人を引き上げ」と歌っています。エリザベトに会った聖母によるこの歌は、一種の勝利宣言なのではないかと私は思っています。信仰深く、謙虚さをもって地道に生きてきたことがようやく報われる、そんな喜びがあったかもしれません。そして、マリアが賛歌を歌ったときこそが、彼女が自らの務めに対してようやく向き合えたといいますか、不安の霧が晴れた瞬間なのかなとも思います。

 私たちは、受胎告知における聖母マリアからたくさんのことを学ぶべきです。中でも、神に対する従順さは忘れてはいけません。自分が上に立ち、多くの人からリスペクトされるためには、まず自分自身が謙虚である必要があります。まず神に対して謙るという段階があってこそ、上に立つことができます。これをせずに、ただ尊敬を集めることだけを求める人は必ず足をすくわれてしまいます。これをキリスト者の救済の次元へと昇華するならば、神の国に入るには、己の罪深さを認めなければならないのです。信仰生活の中でも、まずは懺悔をする、という意識が自然になっていけたらいいと考えています。